凡人とは、「一生、このままでいいや」と思っている人のことです。
今が平凡だとか、今が不満だということは関係ない。
ずっとこの先も、今のままでいい、と思っているのが凡人です。
これからランニングを続けていくあなたへ
あなたが今この文章を読んでいるということは、
平凡な生活から「抜け出せた人」「抜け出したいと思っている人」だと思います。
であれば、「凡人」という人種に理解されようと思うことが、成功の妨げになります。
何か上手くなろうと練習していれば、「あいつまたやってるのか」と見らてれ当然です。
勉強の場合もそうだろう。「あいつまた勉強か、塾行くんか」と言われるから、
トップの成績になれるのです。
私は以前、職場の先輩に、ランニングをすすめたことがあった。
そしてら次の日に私は怒られた。
「楽しめると思ったのに、私が筋肉痛に苦しむのを分かっていてすすめたな!ひどい奴だ!」
と言われた。
この時私は、残念に思いながらも、平凡な先輩にこれだけ言われるということは、
「だいぶ平凡な道からはずれてきたな」と思ったのを今でも覚えている。
会社でも私はそうだった。走るのになるべく早く帰るため、時間を作るのが大変だった。
就業時間はさすがに守っていたし、やるべきことはやっていたので、
面と向かって上司から言われたのとはないが、でも周りからは聞こえてくる、
「あいつは異常だ」・・・と。
「あいつは付き合いが悪い」と陰口をいわれる。
でもそれを言われなくて、「あいつはいいやつで、付き合いがいい」と言われたら、
ではいつ自分の時間を確保するのか、となる。
その時私は確信した。もう凡人の彼らが理解できない自分になったんだな・・・と。
この平凡な世界を抜けだせるのも、もうすぐだなと思った。
私は平凡な毎日が嫌だと思ったから、いままでの道から外れることを選んだ。
平凡な人生でもいいと思っている彼らに理解されるようでは、
そこから抜け出せない・・・そう思うようになっていた。
今の生活の居心地もよくして、別の世界に行こうと考える。その考え自体が間違いだ。
今の生活の居心地が悪くなるから抜け出せるのだ。
平凡がいいと言っている人とうまくやっていきながら、
別の道を進んでいこうというのは、そもそも甘い。
そういう人によく見られたいというのは、自分も平凡な道に入るということだからだ。
さいごに
「どう見られたいか、気にするな」と言っても、
おいそれと全くきにしないようには、すぐには慣れないでしょう。
そういう時は、どうせ気にするなら、「今、どう見られたいか」ではなく、
「将来どう見られたいか」を気にしてみてはいかがでしょうか?
コメント